築地移転延期から推測する役所絡みの外注費の高さ
日本ギャンブルの還元率の低さの主な原因として、運営構図の複雑化が挙げられます。要は天下り先確保です。
ギャンブルを運営するにあたり指定業者、指定用具や指定会費を払う必要がありますが、その業者、用具や会費を管理する会社(団体)に所属する役員・従業員への人件費を捻出するための外注費が高くなる傾向があります。
運営側としては、運営費(外注費)が普通の業界と比べ割高になることから、結果還元率を低くする必要が出てくるという訳です。
今回その「役所絡みの外注費の高さ」がわかりやすい例を挙げたので、興味のある方は参考ください。題材は「築地移転問題」です。
2016年8月31日に現小池知事が築地市場移転延期を正式表明しました。そこで、役所が絡んだ価格の情報が少し発表されたのでご紹介しますね。公表されたのは「坪単価」です。
- 豊洲新市場の建設費坪単価:約220万円
- 同様の建物の坪単価の相場:50〜60万円
大体3倍〜4倍ぐらいの違いですね。豊洲新市場の延床面積が約37万uなので、坪に直すと約11万2,100坪ぐらいです。
また、坪単価200万円を超える建築物は「新国立美術館」とのこと。
※新国立美術館
※豊洲新市場
外観の曲線的で近代的なデザインもそうですが、建物の高さもかなり違うような気がします。もちろん美術館と市場なんで内装も全然違います。
小池知事もこれで延期なら都民も納得するだろうというところを狙った訳でしょうから、政治家から見ても相当価格が高かったんでしょう。もちろん、価格だけじゃなく安全面の問題もあったでしょうけど。
という訳で、役所が絡むと価格は3倍〜4倍跳ね上がると言えるかもです。しかもこの価格上昇分は、そもそも原価が含まれていないのでまるまる利益です。
このテラ銭感覚がもう少し低かったら、公益ギャンブルの控除率ももっと上がるんでしょうけどね。各ギャンブルの管理団体から指定業者への外注・発注費価格も高いことが想像できますよね。残念です。
(パチンコ玉の代金とか換金所の人件費とか競馬の運送料とか挙げるとキリがなさそうですね・・・・)
ということで、役所が絡むとどうしても価格が上がる傾向にあり、全てでは無いでしょうけど場合によっては3倍〜4倍跳ね上がると言えるでしょう。
築地移転の全体予算は5,884億円まで膨らんでいる
それから次に費用の増大についてでありますけれども、豊洲新市場の費用は、全体で2015年の3月の時点で5,884億円となっております。建物の建設費だけで2,752億円。
まず、市場の建設にこれだけ費用がかけられれている、そのことだけでも私は驚いてしまいます。
また、全体予算でありますけれども、2011年は3,926億円でありました。それが4年間で5,884億円に膨らんでいるということであります。
とくにグラフの青い棒、こちら費用の推移・内訳でありますが、この水色が建設費で、橙色が土壌汚染対策費、それからグレーが用地の取得費、そして一番右の黄色ですね、これが関連工事費となっています。グラフの青い棒グラフ、建物の建設費が990億円から2,752億円へと急膨張いたしております。
昨今の建設コストにつきましては、よく言われるように、人材もそれから資材も高騰していることは、これはオリンピックなどの建設についても同じようなことが言えるわけではございますけれども。それにしても3倍近い増大に関しては、これはきちんと精査する必要があると、ちゃんと都民に説明をする必要があると、このように私は考えております。
さらに、この豊洲新市場の建物の坪単価を計算してみたいと思いますけれども。これは豊洲新市場の坪単価、なんと坪当たり約220万円なんですね。同様の建物の坪単価の相場というのを、いろんな参考例を見ますと、だいたい50〜60万円なんです。
そもそも坪単価は異常に高い。その大きさ、なぜそんなに大きくなったのか、その理由は、私も知りたいと思います。
坪単価200万円を超える建築の代表例をあげてみたいと思うんですが。国立新美術館、これは黒川紀章さんの設計だと思いますけれども、こちらが坪単価約260万円なんですね。
資材が高騰する、人件費が高騰する前の2006年の竣工ということではありますけれども、要は豊洲新市場はこのクラスの建物だということを、わかりやすくご説明させていただきました。
これが国立新美術館、外観も館内も美しい曲線となって、建築コストはさぞかしかかっただろうなと。曲面はガラスになっておりますし、造形物としてもたいへんすばらしいと。またネットでもみなさんチェックしていただければと、このように思います。
※新国立美術館
かたや、こちらが豊洲の新市場であります。みなさんもいろいろ取材にいらしたことだと思いますけれども。
※豊洲新市場
都民の大切な税金をお預かりする身といたしましては、やっぱりなぜこうなったのか、これが適正なのかどうかということを、やはり一度明らかにしなければならないと、このように思います。
( ログミー )